便座レースの歴史

推進型便器の発明と発展

ダ・ヴィンチの手稿に残る浮上推進便座
 

■便器を浮上させる理論
最古の推進便器のアイディアがレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に見られる。
便意我慢時の上向きのエネルギーによって便座を浮上させるという、後のフンバルト理論に近いものが記されている。

便座レースの父と呼ばれるベン・フンバルト(1829-1901)
 

■フンバルトエンジンの発明
1870年、ドイツ人技師ベン・フンバルトが便意を推進力とする画期的エンジンを開発。
推進機関のサイズにより、一号便座は直径5メートルと巨大なものになっていたが、改良を重ねることで小型化に成功し1875年には現在のサイズに近い移動便器が完成。
但しエネルギー効率は悪く、最高時速は思いっきり踏ん張っても15km/h程度だった。

自動車と併走する初期型便器
 

■量産と普及
1880年にはドイツとフランスにおいて量産が開始される。
当時の自動車と比較して安価であったため広く普及したが、操作の難度が高く移動手段として定着したとは言い難い状況だった。

レーシングカーと速度を競う初期型便器
 

■第一回トイレットレース
1882年、フランスの便器見本市においてレースが開催された。
記録に残る最も古いレースである。

主に東部の対ソ連戦線に配備されたAngriff Toilettensitz
 

■便器の軍事利用
第二次世界大戦においてドイツ軍が後部タンクにMG34機関銃を搭載した突撃便器(Angriff Toilettensitz)を開発した。
強化された第二世代フンバルトエンジンにより最高時速70km/hを誇り、小回りの良さを活かし主に都市部での制圧作戦での運用が期待されていた。
被弾面積の小ささと単価の安さもあって参謀本部の中にはこの便座を主力とするよう献言したものもいた。
実戦投入されるものの操作性の悪さから足手まといとなり、殆どが撃破されている。


日本の便座レースの歴史

民間人へ便器特攻を呼びかけるポスター
 

■川谷式推進便器
明治15年(18882年)に伊藤博文らが海外より持ち帰った移動便器は大きな驚きで迎えられた。西洋に負けない便器を国内で製作しようという川谷都委零により明治24年に初の国産便器「尾摩流丸」が制作された。
 
■便座競争の開催
大正時代になると西洋のトイレットレースに憧れる庶民らが、ドーナツ状の板を尻に当てて徒競走を行う「便座競争」が各地で行われ、後の「便座レース」という呼び名の元となった。
 
■戦時中の西洋式便器弾圧
太平洋戦争が始まると、西洋式の便器は敵国の文化とされ、弾圧の対象となった。1943年には日比谷公園に西洋式便器が集められ、打ち壊された後に焼却された。
 
■特攻便器
戦局が悪化すると本土決戦を想定した陸軍により各家庭の和式便器を兵器に転用する特攻便器「弁天」の開発が進めらた。爆薬を搭載した便器に跨った状態で敵に突撃するもので、操縦者は便器もろとも爆発する。
実戦投入を目前に研究施設で起きた逆流事故(工作員によるものという説が有力)により広範囲に及び地域が汚染され開発は中止された。


近代便座レース

便座レースは新たな次元へ
 

■さらなる改良
戦後、世界各国で数々の研究開発が行われバランスや走行性能が大幅に向上した。特に日本の川谷重工による反復便威転換動力装置は次世代フンバルトエンジンとも呼ばれる。
 
■本格便座レースのスタート
1953年に国際便座レース連盟(IBA)が発足。
世界各地でグランプリを行う現在の方式が確立された。

■更なる高速化
21世紀に入ると第五世代フンバルトエンジンが開発され、
2010年には時速200km/hを超える便器が登場し世間を驚かせた。
便座レースはさらなる盛り上がりを見せている。